応生のつながり

Relationship

六成会とは

「六成会」の由来について
六成会(りくせいかい)という名は元三高教授で漢学の大家であった湯浅廉孫先生にお願いしてつけて頂いたもので、これは中国の「国語」の中の「周語」上に次の語があって、農の大切なることを高調したものである。

宣王即位,不籍千畝。
かく1文公諫日,不可,夫民之大事在農。
上帝之粢盛,於是乎出,
民之蕃庶,於是乎生,
事之供給,於是乎在,
和協輯睦,於是乎興,
財用蕃殖,於是乎始,
敦厖純固,於是乎成。
是故稷為大官。云々

(周の)宣王位に即き,千畝に籍せず。
(周の宣王は即位したのに,天子として当然行うべき神田を耕す儀礼を行わなかった。)

かく1の文公諫めて曰く,不可なり。夫れ民の大事は農に在り。
(かく1の文公がそれを諌めて言った,「いけません。人々の根本は農にあるのです。」)

上帝の粢盛も是れより出づ。
(天帝へ供える穀物も農から出るのです。)

民の蕃庶も是れより生ず。
(人口の増加も農から生まれるものです。)
事の供給も是こに在り。
(物が供給されるのも,農によるのです。)

和協輯睦も是こに興る。
(平和な協調も農から起こるのです。)

財用の蕃殖も是れより始まる。
(経済の繁栄も,農から始まるのです。)

敦厖純固も是こに成る。
(純真で篤実な気風も農によって完成するのです。)
是の故に稷を大官と為せり,と。
(それゆえ,農業を司る稷の官は重大な官職なのです。と)
このように、人間や社会にとって根幹となる六つの事が農によってこそ成就するというところから、「六成会」と命名されたのである。

注一 かく:かく
注二 「国語」二十一巻、春秋時代の左丘明の編集と伝えられ、周、魯、斉、晋、鄭、楚、呉、越の八国の記録であり、年代は紀元前一〇〇〇年頃から前四五三年頃まで、周の 穆王から晋の知氏の滅亡まで、約五五〇年間にわたる。
注三 平成十三年に現代口語訳に直したが、京都大学大学院文学研究科教授の川合康三先生にお願いした。