「植物細胞壁 = バイオマス」の成り立ちを調べ、コントロールする
森林代謝機能化学分野 教授
飛松 裕基
約4億年前、海から陸上に進出した植物は、乾燥、重力、紫外線に晒される厳しい陸上環境に適応するため、強固な高分子複合体(リグノセルロース)でできた分厚く硬い細胞壁(維管束)を作る能力を獲得しました。そして現在に至る長い進化の過程で、維管束植物は、細胞壁の構造を複雑化・多様化させ、細胞レベルで高度に制御する生体機構を発達させました。複雑多様な細胞壁の構造と機能、植物がそれを作り出す仕組みを明らかにすることは、陸上植物の進化の道筋と環境適応の仕組みを紐解く重要なヒントになります。一方、細胞壁は、陸上に存在する最大の生物資源(木質バイオマス)という顔も持ちます。まさに細胞壁の塊である木材に代表されるように、人は古来より、身近な細胞壁資源を様々な生活用途に利用してきました。年々深刻化する環境問題や資源・エネルギー問題を背景に、石油製品を代替する化学製品や燃料をカーボンニュートラルな細胞壁資源からクリーンに作り出そうという試みが世界中で活発に進められています。人の暮らしを豊かにする新たなテクノロジーの創出という観点からも、細胞壁の研究が注目されています。
植物はなぜ・どのようにして複雑多様な細胞壁を作り出すのか?その仕組み(遺伝子)を利用して、細胞壁の形成をコントロールできるのではないか?そして、あわよくばバイオマスの生産性や利用性を高めた植物を作り出すことができるのではないか?これらの疑問の答えを探しながら、研究を続けています。
京大農学部4回生の時に与えられた卒論テーマを発端として、大学院生時代、5年間のアメリカでの研究員生活を経て、京大に戻り、今に至るまで、かれこれ20年近く、細胞壁の研究に没頭してきました。大学院生の時は、細胞壁が作られる際に、その主要成分であるリグニンがどのように高分子化していくのかを有機化学的に研究していました。アメリカで研究員をしていた時は、NMRなどを使って、150種以上の植物の細胞壁を調べ、それまで知られていなかった全く新しいタイプのリグニンを見つけたり、細胞壁の形成過程を生体中で可視化する蛍光プローブを作ったりしていました。また、モデル植物(シロイヌナズナやトウモロコシ、テーダマツなど)のリグニン生合成遺伝子を探索して、バイオ燃料生産性に優れた遺伝子組換え植物を作る研究にも関わりました。京大に帰ってきてからも、モデル植物(イネやシロイヌナズナなど)を使った細胞壁の研究を続け、細胞壁の進化に関わる遺伝子を探したり、ゲノム編集を使って細胞壁の構造を様々に改変した変異体を作り、細胞壁の構造や機能と植物進化との関係性を調べたり、バイオマス利用に有効な細胞壁改変植物を開発したりしています(写真1)。また、細胞壁成分(リグニン)と代謝経路を共有する有用二次代謝産物(リグナン・ネオリグナン・フラボノイドなど)の研究も進めています。
僕らの研究室の強みは、細胞壁や二次代謝産物に関する有機化学的研究アプローチと分子生物学的研究アプローチの両方をそれなりに使えるところだと思っています。特に前者に関しては、高分解能NMRなどを使って、細胞壁の構造を精密に調べる独自の手法を持っています。それを頼って、世界中から「この植物の細胞壁を分析して!」と試料が送られてきます。逆に、僕らが作った細胞壁を改変した組換え植物に興味を持った異分野の研究者から、「その変わった細胞壁の植物を使わせて!」と言われて、種を送ることもあります。このように、世界中の研究者と一緒に様々な共同研究を進めています。
日々実験に没頭し、気が付けば、大学の研究者になっていました。母親が研究者をしているので、その影響はあったと思います。母はいつも忙そうで、家にはあまりいませんでしたが、家には研究や趣味の本が溢れていました。母子家庭であったこともあり、海外で行われる学会や調査に母に連れられて行くこともありました。世界を舞台に、世間の目をあまり気にせず(そのように見える)、我道を行く母を見て、研究者という職業にいつの間にか惹かれていたのかもしれません(これまでお世話になった尊敬する恩師達も皆、己の道を行く、個性の強い先生達でした)。ジブリ作品が好きで、「風の谷のナウシカ」を見て、家の地下室で黙々とカビ(粘菌?)の研究をするナウシカに少し憧れました。大学院を卒業して、アメリカに旅立つ時には、「魔女の宅急便」で、故郷から遠く離れた見知らぬ街へ修行に出たキキのように成長できますようにと願を懸け、キキの相棒の黒猫ジジのぬいぐるみを持って行きました。日本に帰ってきてからは本物の黒猫と暮らしています。
僕らの研究室では、「植物細胞壁」や「植物二次代謝産物」という研究対象に対して、様々なアプローチを使って研究をしています。配属された大学院生は、多岐にわたる科学分野の知識と実験スキルを習得することができます。例えば、細胞壁や二次代謝産物を分析するためには、分析化学・木質化学・天然物化学・構造生物学の知識・スキルを、遺伝子組換え植物を扱うためには、植物生理学・分子生物学・遺伝子工学の知識・スキルを学びます。さらに、組換えタンパク質(酵素科学)、バイオインフォマティクス(データ科学)、代謝物標品や蛍光プローブの合成(有機合成化学)、生体高分子の物性(高分子科学)、分子シミュレーション(計算化学)などを扱う研究テーマもあります。新しい実験にチャレンジするときは、各専門分野の共同研究者にもサポートしてもらいながら、教員も一緒に学びます。大変かもしれないですが、色々な分野の最先端の研究スキルや考え方を学べるので、きっと将来の研究や仕事の可能性が大きく広がるはずです。
自分の話に戻りますが、前項に書いた通り、学部4回生の時から、かれこれ20年近く、細胞壁の研究をしてきました。その間、科学技術は物凄い勢いで発展してきました。NMRやX線を使って、細胞壁中で生体高分子(リグニンと多糖)が複雑に絡み合う様子を原子レベルで調べたり、スーパーコンピューターやAIを使って、生体高分子(リグニンや多糖、タンパク質)の3次元構造をシミュレーションしたり(写真2)、次世代シーケンサーを使って、細胞壁形成や二次代謝産物の生合成に関わるかもしれない何千何万個もの遺伝子を一気に解析したりできるようになりました。研究室に配属したばかりの大学院生でも、ゲノム編集技術を使って、細胞壁を様々に改変した植物を気軽に作ることができるようにもなりました。色々分かってきた分、深まる謎や新たな疑問もあり、研究に飽きることは今のところはなさそうです。
そうこうしている間にも、地球温暖化は着々と進み、大きな災害に見舞われたり、謎の病気が蔓延したり、悲惨な紛争が勃発したりと、地球の未来の不確実性は年々高まっている様に感じます。いつか僕らの細胞壁や二次代謝物の研究が地球の役に立つ日が来るといいなと思います。そういう思いも共有してくれる大学院生を募集しています!
神奈川県川崎市出身。東京都巣鴨高校を卒業後、京都大学農学部生物機能科学科に進学。2009年に同大学大学院農学研究科森林科学専攻で博士号(農学)を取得。その後、ウィスコンシン大学・研究員、米国エネルギー省バイオエネルギー研究センター・研究員を経て、2014年より、京都大学大学院農学研究科森林科学専攻・助教。2015年より、准教授。2023年より教授。専門分野は植物(特に木質)生化学・分子生物学。趣味は小説・映画・音楽鑑賞と散歩。猫派。